榮久庵憲司氏率いる創造集団GK!!戦後の復興期から共に歩んだデザインの世界!「榮久庵憲司とGKの世界 鳳が翔く」

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世田谷美術館 2013年7月6日(土)―9月1日(日)  榮久庵憲司氏 式辞より

  

ポスターに「榮久庵憲司とGKの世界 鳳が翔く」と書いてあります。どこに鳳があるのかと、恐らくみなさん、面食らうのではないかと思うのですが、最後に現れてきます。私は変な名前でニックネームのつけようがないんです。顔を洗って、鏡をみるたびに、変な名前の祖先がいたものだな、と思っていたんです。でも、そんな名前が、使われた今回のポスターを見ると、どうもPR効果だけはあったかな、と嬉しく思っています。

 

私がどのような仕事をしてきたか、という話は、みなさんが伝えてくださったので、何故、物の世界に足を踏み入れたか、というお話をしようと思います。

 

私が今まで受けた中で一番のショックというのは、原爆が広島に投下された一週間ほど後に見た、広島の駅頭からの景色でした。

何もないのです。瀬戸内が綺麗にキラキラ光るのが見えるくらいで、何もないのです。つまり、「無」です。普通「無」というと、もっと綺麗なものではないかと、みなさんお感じになると思うのですが、「凄惨な無」だったのです。そこに降り立ったとき、「有」が欲しくなりました。誰もいないジャングルの中で、煙草のパッケージを見つけると、「あ、ここに人がいたな」とほっとする、そんな気持ちだったと思います。

 

 

「有」という存在は、仏教的にも否定的な表現が多いのですが、「有」を求めたからこそ、今の私があるのだと思っております。「有」を引き出すことによって、「無」が、凄惨にならないようにしなくてはいけないと思ったんです。「凄惨な無」は地獄絵ですから、これは困るのです。「有」を創り出すことによって、「美しき無」になって欲しいというのが、物の世界に自分が繋がろうとしたときの、仏様への一種の契約でした。

 

戦後のあのような時期ですから、自らをまとめあげることに、日本国民の大半の方が大変な苦労をされていたときだと思うのですが、私自身、「有」を求めていくということによって、自分の存在がしっかりとしてきました。

そして、「物をつくり、手で触り、匂いをかぐ」そのことが、自らが壊れないで済む方法でした。自分はどの世界と生活をするのか、と考えたときに、物の世界と共に暮らすのだ、と考えられる、人生においても大変な変革期であったと言えます。

 

非常にシンプルに、「有」が欲しい、「有」を手にすることが、人間の存在そのものであると感じ、社会と繋がり、他も自分も律していったのです。

 

 

榮久庵憲司氏 インダストリアルデザインとの出逢い  そして、GKの始まり >>  

 

 

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