明治時代 妖怪とは何か?怪奇現象はなぜ起きるのか?本気で考えた学者がいた!!妖怪学者 井上円了

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る

「妖怪博士」とよばれた一人の男 

 

——当時、それだけ入り込んで研究をしていたと聞くと、変人なのかな、とも思ってしまいますね。

 

よく言われるんです。そうだったのかもしれません。「妖怪」という言葉も、円了が明治になって、お化け、幽霊というものを、ひとくくりにして作った言葉なんです。「迷信」という言葉も造語で作ったようです。

  

 

——日本には、一言で妖怪といっても、民俗学から入る柳田國男、少年のような興味から入る井上円了、それから、子どもの頃の思い出を描く水木しげるという、おもしろい3人が見えますね。

 

そうですね。水木しげるが出てきて妖怪に対するイメージが変わりましたよね。妖怪が、日本人の精神の問題とか、生活の問題ではなくなって、ファッションになりましたね。円了の時代は、病気の治療方法も、お医者さんに見てもらうだけでなく、マジナイ療法もまだ盛んで、病をお札で治す、と考える方も多かったようです。ですから、妖怪の問題は命にかかわるものだった。それを信じていた時代だったんです。だからこそ、円了先生は、お化けや幽霊だけでなく、広く捉えて、妖怪学と考えていたのだと思います。 

――妖怪学講義が東洋大学で、120年ぶりになされているというお話を聞いたのですが、学生たちの反応はいかがですか?

 

私は井上円了の生涯を研究する中で、妖怪学を取り上げているのですが、東洋大学の菊池章太が、妖怪学を専門に教えています。私の授業でも、学生は、妖怪学が面白い、と言うんですね。でも、授業中に、「君たち妖怪はいると思うか?」って聞くと、恥ずかしいからか手を挙げないんです。その代わり、授業の終わりに回収する紙に「妖怪はいる」とか書いてよこしてくるんですよね(笑)。

  

 

——三浦先生は、妖怪はいると思いますか?

 

僕は60歳になりますが、奇遇な出会いがなく、何ら不思議でもない世界で生きています(笑)。なので、お化けはいないと思います。でも人間は刹那、刹那を生きざるを得ない宿命がありますから、円了のように、「不安」に対して、一定の哲学的な見解を持っているということが、必要だと思いますね。物の見方、考え方を個人個人が持っているということですね。

  

 

——井上円了学は、生きていくコツを教える学問のような感じがしますね。

 

そうです。知恵ですね。でも、円了は生涯苦労していますよ。哲学館が台風で崩壊してしまったので、結局、今の東洋大学の土地に移ってきて新築工事をしたり、「哲学館」は危険な思想を教える学校だと言われ、論争になったり。本当に、苦労を苦労と思わなかったんだろうな、と思います。円了の墓は、石で作った井桁の上に◯の石を乗せて、井上円了と表しているんです。今でこそ、新しいモニュメントの墓を作っているといっても、大正時代にそこまで崩すというのは、墓は聖なるものというのが一般的な常識ですからね。円了はそういう常識にとらわれない人なんですね。
逸話としては、鬼門に家を建てたり、北枕で寝たり、4(死)という日本人が嫌う数字を使ってみたり。円了の使用していた電話番号は444だったんですよ。変わった人ですよね。

 

 

関連記事

  • WINDBLOW Keison 風や波の音に酔いしれる(2010/08/28)

  • 特別展「医は仁術」が、国立科学博物館(上野)にて開催!スペシャルナビゲーターに、大沢たかおが登場!(2014/03/26)

  • もとバーテンダー寺田さんが、営む 浜松の隠れ家 ワインバー ル・ヴァン「Le Vin」(2012/03/05)

  • NAU代表の三宅洋平氏を中心に、代々木公園をメイン会場にした『大デモ』が行われた!この活動について皆さんは、どう感じますか?(2013/12/07)

  • リバースプロジェクト -REBIRTH PROJECT-(2012/07/18)

  • 複数の人格障害と戦い抜いた女性に着想を得た真実の物語 映画『Frankie&Alice(フランキー&アリス)』(2014/08/29)