特別展『ガウディ×井上雄彦』公式ナビゲーター  

建築家 光嶋裕介氏に話しを聞く!!

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特別展『ガウディ×井上雄彦』2014.7.12 – 9.7 公式ナビゲーター  光嶋裕介氏

  

特別展『ガウディ×井上雄彦』が開催されると聞いたとき、どうしてガウディと井上雄彦さんなのだろう、ガウディをどのように組み合わせていくのだろうか、と疑問に思った。でも、光嶋裕介さんの話を聞き、この展示はきっと心揺れ動かされるものになるだろうと、作品をひとつも見ていない、いや、会期まで1ヶ月をきった今もまだ、すべての作品が完成していない、という現状を聞いても、確信を持って言える。

井上雄彦だからこそ見えてきたガウディの姿を、展示を通して感じてみたい。

 

 

※手漉き和紙を制作中の井上雄彦氏
世界最大級の手漉き和紙にガウディの世界観を筆で描き出した作品を『特別展 ガウディ×井上雄彦』にて展示予定

 

 

光嶋裕介氏に 自身について、そして井上雄彦氏との出逢いについて話を聞いた——

 

光嶋裕介 Koshima Yusuke

1979年、米ニュージャージー州に生まれ、奈良、トロント、マンチェスターで少年期を過ごす。早稲田大学理工学部建築科で石山修武氏に師事。大学院修了後、独ベルリンの建築事務所ザウアブルッフ・ハットン・アーキテクツに4年間勤務。2008年に帰国し、光嶋裕介建築設計事務所を主宰。桑沢デザイン研究所非常勤講師、2012年より首都大学東京助教。「凱風館」の設計によりSD REVIEW2011に入選。「凱風館」にて行われた井上雄彦氏×内田樹氏(施主)×光嶋裕介氏の三者対談をきっかけに、井上氏との交流を深め、今回『特別展 ガウディ×井上雄彦』公式ナビゲーターへの就任に至った。

 

 

旅に出る——

 

バルセロナに限っていうと、中学時代にマンチェスターに住んでいた時に一度行っているんです。サッカーを見に行ったんですけど、そのときに初めてサグラダファミリアも観光しています。その後、早稲田の寮のある高校に入ったのですが、振り返ってみると、そこで大学受験のためだけの猛勉強に拘束されることなく、高校生活を満喫できたのは大きかったように思います。日々の勉強を楽しみ、部活でバスケをしたり、バンドをやったり、好きな絵を描いたりして過ごしていました。

でも、あるとき、ふと将来のことを考え始めて、絵が好きだし藝大に行こうと思い立ち、放課後に絵の専門学校に行き始めたんです。図工の時間以外で初めて絵を学んだわけですが、「こうして描きなさい、影はこのように付けなさい」という具合に石膏模型を描いたりする藝大受験用の授業をあんまり好きになれなくて、絵を描くことを人から教えてもらうのはつまらないな、と思っているときに、美術の先生に、「芸術の頂点は、建築ではないか」と言われて、ハッとしたんです。自分の人生で何か人の役に立って、後世に「残る」仕事がしたいと思っていたので、そのとき初めて「建築」について考えるようになりました。それまでは、高校の建物が、どうやら早稲田の先生が建てたらしい、ということくらいしか知らなくて、あまり興味がなかったんです。

  

そもそも「空間」とはなにか、という根本的なことですら分からない建築という世界に惹かれていきました。
ものすごく複雑で難しいからこそやりがいのある建築という分野に対してはっきりとした道のようなものを示してくれたのは、大学に入って出逢った石山修武という先生でした。建築家という師匠を得て、その背中をみながら、自分自身はもっと勉強をしなければいけないな、とずっと思っていました。がしかし、学校でレクチャーを聴いたり、製図の授業を受けたり、本を読んだりしても、建築家とは何か、まだ全然分からなかった。師匠に近づいている手応えというものがまるでなくて、大学2年生の夏にとにかく旅に出て、実際に建築を見に行こうと思ったんです。それまでも、日本でちょこちょこと友達と建築を見に行っていたんですけど、なんとなくサークル的ノリで、本物の感動がなくて、これは少し違うな、という思いから、ひとりで行こうと決めました。目的は、ただ単純に「建築家になりたい」という一点だったんです。そのとき初めて能動的に旅をするようになったことは、僕自身にとって大きかったですね。

 

 

 

旅行と定住とで、見えてくるもの——

 

全く違いましたね。自分の視野が狭いと感じました。僕自身アメリカで生まれて、転々としていたので、いろいろなものを見てきたつもりだったんですが、いざ「建築」というよりどころを手にして、世界と向き合う回路をみつけた気持ちになりました。それを色々な角度から考えてみたり、モダニズムを勉強したりとか、いろいろな建築家の作品を体験してみたら、教授陣や本ではあまり良く言われていない建物に、いたく感動をしたり、逆にすごく褒められていた割には、行ってみたらあんまり心に響かなかったりして。自分の物差しらしきものがゆっくりできてきたんです。生の体験というのは、旅を通して異質なものと出逢うんですよね。

 

僕はよく「色」に喩えるんですが、仮に日本人が赤だとすると、僕のように、日本人としてアメリカで生まれた人は、ピンクぐらいだと思ってるんです。赤の中のピンクは、特別目立ちはしないけれど、ちょっと違うな、という感覚がある。それに対して、僕にとってのヨーロッパは青かった。赤やピンクが青に囲われるとすごく目立つんだけど、僕はそのピンクを青くしたかったんです。でも、それは旅ではできない。旅は一瞬の対比しか生まれない。だけど、青の文化って何だろう、ヨーロッパでこの人たちはどうやって建築を作ったり、生活を送ったりしているんだろう、ということは、日常の風景を通して見えてくるものだと思ったんです。

大学2年生から大学院2年までの4年間、毎夏休みバックパッカーをしていたので、凄いものに触れているんだ、という感覚は毎回あったんですが、やはり時間をかけてフィルターを通す、自分の赤やピンクをどんどん溶け出させて、青を取り込んでいく、ということをしないといけないと思って。

 

実際4年間住んでみて、結果から言うと、エッジのほうから紫にはなっていくんだけれど、でも、自分のピンクがよりはっきりと見える、目立つことに気づいたんです。いろんな人と話をすると、自分の中心部分は日本的だったんです。

 

 

独立をする——

 

建築を創るっていうのはすごく複雑な複合的な共同作業なので、当時の自分のボス(ザウアブルッフ・ハットン)が仕事をしている風景を見て、僕は彼と同じ土俵に立てるのかな?といつしか考えるようになりました。スタッフとして働く分には良いんだけど、「カッコいいな、僕もこういう風に建築に関わる全ての決断をしたいな」と思ったんです。僕はその当時、スタッフだったので、いろいろなバリエーションを見せることで、可能性を提示することしかできなかったんです。「AかBかCかで、僕はBが良いと思うけど、もしかしたら、Aかもね」って具合に。でも、クライアントとボスのミーティングに立ち会うこともあるけど、準備だけをして、打合せには行けない場合もあるんですよね。で、帰ってきて結果を聞くと「C案になったよ」って言われて、「え?C案なんだ……」ってなることもあって。

 

もちろん全力でやっているんだけど、どこかで料理の仕込みしかしていなくて、最後までやることも、ましてや、農家の人とも話をして総合的に料理をする、というようなことがしたかった。でも、それをするんだったら、自分のホームグラウンドである日本でしかやれないかな、と思うに至ったんです。

実はベルリン生活4年目というのは、給料も一番良かったし、一年毎に更新だったので、何不自由なかったんです。でも、漠然と30歳までには独立したいということと、最初の青色に飛び来んだピンクの状態からは大分紫になってきたものの、どこかで飽和してきているな、という感覚もあったので、今年で最終年にしよう、と決めて、「今年で帰国します」ってボスに契約更新のときに宣言して、帰ってきました。

 

 

 

特別展 ガウディ×井上雄彦 – シンクロする創造の源泉 - 

Takehiko Inoue interprets Gaudi’s Universe


会期:2014年7月12日(土)〜9月7日(日)※会期中無休

会場:森アーツセンターギャラリー(東京・六本木ヒルズ 森タワー 52F)

 

 

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