伝説の艦船画家 上田毅八郎 × 株式会社タミヤ代表取締役会長 田宮俊作 インタビュー!!世代を超へ親しまれ続けるタミヤの魅力

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る

伝説の艦船画家 上田毅八郎 × 株式会社タミヤ代表取締役会長 田宮俊作  Photo Gallery ▶

 

プラモデルのタミヤといったら今や知らない人はいない。

 

戦車、戦艦、ミニ四駆……多くのシリーズが世代を超えて今もなお、親しまれ続けている。

そんなタミヤの看板商品のひとつでもある、艦船模型のパッケージ画を手がけた男、上田毅八郎氏にスポットをあてた。上田毅八郎氏、株式会社タミヤ代表取締役会長 田宮俊作氏、それぞれが語る当時の想いとは—

 

 

さかのぼること1941年、21歳の上田氏は招集され、浜松の陸軍船舶砲兵第1連隊に配属された。

1942年3月ジャワ島上陸を仕切りに、船載高射砲員としてアリューシャンやビルマ、ニューギニア、ラバウルなど各地を転戦。戦時中日本海軍が保有した主要艦艇は、戦艦12、空母25、巡洋艦47、駆逐艦174。そのうち上田氏が配属、便乗を合わせた乗船隻数は26隻にものぼった。

1944年11月、上田氏は輸送船「金華丸」で勤務中、フィリピンのマニラ湾でアメリカ軍の艦載機250機あまりの空撃を受け、利き腕である右肘関節に重傷を負ったのだ。

 

当時のことを上田氏は、こう振り返る。「負傷した直後というのは、痛みもさることながら、とにかく腕が重かった。爆弾が落ちるたびに死んでいく戦友たちを見ながら、ああ自分もこのまま死んで行くのかという気持ちになりましたよ。」

 

そして10日ほど漂流しながらも、命をとりとめた上田氏は、翌年本土に送還された。しかしその後、上田氏は24歳という若さで、利き腕である右手の自由を失った。

[画像]招集当時の上田毅八郎氏   

 

関連記事

  • 一品そこにあるだけで、食卓が賑やかくなるような、そんな幸せごはんを教えてくれる!!弥生さんのわくわくレシピ(2012/03/03)

  • SPACE EXPO 宇宙博 2014 -NASA・JAXAの挑戦 公式サポーターの爆笑問題が登場!!ゲストに宇宙飛行士 星出彰彦氏を招き、宇宙教室を開催!(2014/04/17)

  • 興行収入90億円! インド映画歴代No.1の興行収入を記録の話題作『チェイス!』!!ヴィジャイ・クリシュナ・アーチャールヤ監督インタビュー(2014/12/04)

  • 今も昔も変わらぬ味と想い 浜松の地ソース!大正十三年創業 トリイソース!!「西洋醤油」と呼ばれた「ソース」との出会い(2011/01/15)

  • 今あなたは、何を思い 何を感じますか?アレイダ・ゲバラ緊急来日講演会 今自分が何を感じているのか、そのことが全ての始まりだと思う。(2012/02/29)

  • 創立100周年を迎えた赤レンガ倉庫で日本最大級のカスタムカーイベント、アメフェスが開催された!!(2010/12/20)